森博嗣とリアリティ

森博嗣
作家。
HPで日記を連載中。


その連載の中で、ゲームに少し触れていたので紹介。

2006年12月28日(木曜日)
【HR】 語られるリアリティ


中略


 ゲームもどんどんリアルな画面になっているけれど、最初にウィザードリィのダンジョンへ入っていったときの興奮は味わえない。リアリティっていうのは、かように主観的なものか、と再認識。
 つまり、機関車の音を出したり、ゲームの動画が綺麗だったり、といったことは、実物に近づけるというだけのリアリティであって、本来のその世界が持っていたリアリティとはまた別物だ。子供は、おもちゃの機関車や、ゲームの低解像度の画面の中に、自分の世界を作る力がある。それだから、そんな別の世界のリアリティを持ち込んでほしくない、と感じるかもしれない。
 魅力ある世界のリアリティを創造することが本来であるのに対して、既にある実物へ近づこうとする行為は、ようするに(目標が定かな分)簡単だし、誰にもそれが理解できるから、一時的には評判になる。映画の「ファイナルファンタジー」みたいに。だけど、「凄いでしょう?」「リアルでしょう?」という話題にはなっても、誰も「面白さ」を語らない。ミステリィでいえば、トリックとか意外な結末が「凄い」というようなのが、この部類だ。
 語りやすいファクタだけが語られ、語られることによって本質を見失うのである。


http://blog.mf-davinci.com/mori_log/index.php

わざと煽るように文章書いてるんだろうから、話半分で読むと面白い。
なるほど、そーゆー分析もアリか、と。
リアリティっての定義は、確かに難しいかも。
主観的で。
万人に通用するリアリティなんてあるのかなぁ。
ゲームにとどまらず、ドラマや映画に小説なんかの娯楽は、どこまでリアリティを追求するか、ってのが結構重要かも。
リアルじゃないから、突き詰めすぎても嘘くささはぬぐえない、が、無さ過ぎてもツマラナイ。
ユーザーの要求に一致したものを提供できるのがベストなんだろうな。


映像に特化したPS3Xboxと、別の面白さを求めたWii
勝ち負けではないけれど、2007年の売り上げが、今後のゲームという娯楽の方向性を決定づけるかもしれないなぁ。


とか思ったり、思わなかったり。
まぁ、楽しいゲームができればそれでいいってのが本音ではあるw